語用論5

G:否定文
興味のある対象としてメタ言語的否定と前提抹消的否定がある。
メタ言語的否定:従来の文法用法にあわない言語使用について否定する(言い回しのおかしさ、いい間違いなど)
前提抹消的否定:命題の前提を否定する。


メタ言語的否定とは、言語形式について否定するもの。ラ抜き言葉とか、うるさいですよね。
 発音の間違いも入るだろう。「ガの発音がおかしいんだよ。GAじゃなくてngaって言わないと汚く聞こえるんだよ。」
 というのは年配の方から聞きますね。
○この場合の否定は言語形式に命題が直接現れないので苦しい。
○このようなときに否定を分析する際は否定の作用域を調べる。たとえば、命題の一部を否定する場合などがある。
 関連性理論では否定の作用域は命題全体であり、作用域をせばめて解釈するのは語用論的働きとみなす。
メタ言語的否定については解釈的用法の説明を借りる。そして、否定の対象は解釈的に使われている要素である、と説明する。
 再現的に使われている要素といってもいい。
○解釈的用法とは表示に表示を与える発話であった。今、否定の対象が話し手の想定となっており、かつそれが命題なのである。
○前提末梢的否定は、前提を否定する発話。
 「ロンドンにあるエッフェル塔ってマジ汚かったぜ!マジですよ?」なんていう発話に対し、
 「汚くは無いでしょ。パリにあるのはそうだろうけど。」なんて返せばロンドンにエッフェル塔が無いこと(命題の前提)を意図していることがわかる。
○前提抹消的否定をする人は相当煙たがられるタイプの人だろう。残念ながら今の自分に煙たがられるほどの実力は無い。ウッセーナこいつ、とあしらわれるくらいはできるけど。
○関連性理論ではメタ言語と同様に否定の対象は命題前提であり、取り立てる部分は関連性によるとする。


H:法助動詞
法は・・・

時間が無くなったので暫くしたら追加。

語用論まとめ4

3章:関連性理論の言語学での位置


A:ムード
命令文や願望文といった言語形式(日本語は主に助詞で表現)には法と呼ばれる話者態度が影響している。
ここで、法を命題態度(表現されている命題についての態度)とすることで法にまつわる様々な言語形式に説明が与えられる。
記述的態度:状況にたいする命題態度
解釈的態度:命題に対する命題態度
ムードの4区分:事実的、可能性的、潜在的、希求的
これらを組み合わせることで多種の言語形式へ符号化される。


○命題態度はある命題に対して態度を付与する。あいにくの雨ですね、というのは「あいにく」という言葉で雨が降っているという状況に残念であるという態度をあてがう。
○可能性的と潜在的は違う。可能性的は理屈では可能だが実現できない、という旨を表す。潜在的はまだ実現していないが実現しうることを表す。
○事実的とその他という対立軸かな、と思う。
○希求的の詳しい説明がない。大体わかるがそれじゃダメなので。。参考文献を洗うしかないかな。


B:命令文
言語行為論に対しての批判:命令文は聞き手に何らかの行為を行うことを要請するもの、というのは反例がたくさんある。
命令文は命題態度で言うと記述的態度で、かつ希求的、潜在的である。


○命令文の言語形式は英語だと最初に動詞が来るもの。日本語だと助動詞などだろうか。
○様々な例が示される。助言をする命令文、許可を示す命令文、願望を示す命令文、命令対象がいない命令文、心の中での祈りなどなど。


C:ここまでの感想
クソッ死ねや!なんて心の中で思うとき、確かに相手が存在しないことが良くある。これは言語行為論でいう命令ではないだろう。
しかし、関連性理論は顕示的伝達を対象にするものだとあったのだが、心の中での祈りは顕示的伝達なのか?というと疑問。誰かに対する伝達的意図は無いし、情報的意図もあるか疑わしい。強いて言うなら相手が自分だと考えれば自分に対して伝達的意図と情報的意図(これはあるのか?)を示していると見れる。うーん、こういうのもアリなのか。自分で自分の認知環境を改善するのか。そのときの関連性はどう考えればいいのだろう。難しいなあ。
と思っていたら注にそのことについて書いてあった。発話の範疇にしておくらしいが、関連性理論の前提はどこに?
しかし、心の中の発話というのは面白い。今は本論ではないけど。


D:疑問文
発話行為論→聞き手に対する情報提供の要請
多種の反例
修辞疑問文、試験問題、当てもの的質問、問題提起用疑問文、自問、思索的疑問文、感嘆文的疑問文、間接疑問文などなど。
関連性理論→解釈的命題態度、希求的、潜在的
話し手が誰かにとって関連性がある答え(考え)を希求的かつ潜在的であると看做している旨を示したもの。


○まず、発話行為論の情報提供の要請の定義が明らかでないのでヤヤ直感的な説明がなされている感アリ。
○様々な例で聞き手の何に関連性が、話し手の何に関連性があるかが示される。
 たとえば、修辞疑問文。「私がこれまでうそをツイタコトがある?」と言う時、これは疑問文であるが情報提供の要請ではない。
 まず、これは聞き手の認知環境に「アイツはウソをつく」という想定が存在することを話し手が想定している。
 この認知環境を改善するために、話し手はこの発話を行う。
 ウソをつかない、という聞き手に関連性のある答えは、話し手が潜在的(実現可能性がある)、そして希求的(それを望んでいる)だとみなしている。


E:感嘆文
感嘆の表現。しかし関連性理論によれば、「話し手が、自分にとって関連性がある答えを希求的かつ潜在的であるとみなしている旨を示したもの」となる。


○疑問文との違いは聞き手(または第3者)にとって、ではなく自分にとって、となること。
○先の疑問にもあるとおり、これは顕示的伝達なのか。興奮したりする活動とかが自分に対する伝達的意図になるのかな。
○疑問文は関連性が誰にとってのものか明示されていない。しかし、感嘆文は自分である。
○この花、食虫植物だったんデスネ!などといったとき、この命題(花is食虫植物, aspect=完了)は自分にとって関連性のある命題である。
 そしてこれは自分にとっては未だ実現していないことであり(潜在的)、それを望んでいる(希求的)。
○希求的は怪しいかもしれない。他の例では重要なのだろうが。
○英語と違って日本語の感嘆文は一筋縄ではいかなそう。上の例のように言語形式に現れないこともある。今回はえくすくらめーしょん付けたが。
○英語は主語・助動詞倒置、日本語は係助詞「か」の使用など。こういう言語形式は手続き的符号化。


F:平叙文
単純に状況を対象にした符号化である。態度としては、その状況が現実に即していると見なす態度。
命題態度による説明があまり意味を成さない。研究対象。


G:ここまでの感想
徹底的に意図(意味)→言語形式 が貫かれていて面白い。
しかし行動主義的な見方をすれば、どうあがいても内観でしか分析できないのでどう客観性を担保するのか疑問。
しかしこうしてみると、言語形式とムードの差異は存外広い。潜在的で希求的な命題をつくり、それを言語形式に落とせば感嘆文or疑問文になるのか。
統一的に説明できているけど最早「命令文」や「感嘆文」という用語は適用できないと思う。
あと、未だに顕示的伝達では無いような例が混入している気がしてならない。もっと読んでみる。

語用論まとめ3

F:意味確定度不十分性
人は意味確定度不十分な発話をする。


○なぜか? 
 相手の推論能力に頼っているから。
○意味確定度十分な発話(理想文)は存在するのか?
 しない。
○概念的符号化と手続き的符号化
 概念的符号化は名詞のようにその符号の背後の意味が「概念」であるものである。
 対して手続き的符号化は接続詞andのように、それ自体に意味は存在しないが、解釈手続きへの指針を与える。
 A and BはAとBの間にある種の関係がある、ということをあらわす。その関係はコンテクストを参照しなければ解釈できない。
○理想文が存在しないのはなぜか。
 コンテクストから独立に成立しうる文でなければ、理想文とは言えない。しかし、そのようなものはandに見られるように符号化することができない。
 概念的符号についても同様で、コンテクストに照らし合わせることでしか背景の概念を特定できない。同音異義語が例である。
 言語は本質的に”類似的に”ものごとをあらわすという考え。


G:記述的と解釈的
記述的用法:裸の出来事や状況に表示を与える発話(表示は想定と同じものと考えていいのかな?)
解釈的用法:表示に表示を与える発話


○明意と暗意と言ってる事が同じ?
○記述的用法に完璧はない。
 類似的にものごとをあらわすのが言語、ということだが記述的用法に関しても完璧にものごとを表さず、類似的に表現するものである。
○解釈的用法のあれこれ
 解釈的用法はレトリックな言語の使い方が典型例。アイロニーや緩叙法など。
○記述的と解釈的の境
 雨が降っている、という記述も頭の中に表示したものを表しているのだから解釈的といえる。
 しかし、便宜的に外的状況に関する話し手の考えは記述的、話し手以外の人に帰される考えや発話の表示であるときは解釈的という。
○以上より・・・
 発話の定義:発話とは、誰かが真だと考えていることを、話し手がさまざまな程度の類似性をもってことばで表示したものである。
 

H:明意と暗意
明示性:発話Uによって伝達される想定は、もしそれがUによって符号化されている論理形式を発展させたものであれば、そしてその場合に限り明示的である。
明示的に伝達された想定を明意と呼ぶ。


○論理形式という言葉が出てきたが、言語形式と同じ意味?論理ってことは命題ということ?
○ようするに、明意を定義することで、それで説明できない暗意を規定する試み?
○発展の定義:直示的表現が指し示す対象を同定すること。語義の一義化。文法的補完。単語その他の意味を特定化・拡張して解釈する。
○これ以外は暗意の領域。グライスは文法的補完を暗意の領域にしたらしい。しかし、文法的に補完された要素は明示的に伝えたい内容と言えそうなので、関連性理論を提唱するSperber & Wilsonは暗意にしなかったようである。


I:暗意の強弱
暗意にも伝えたい度合いがある。金が足りない→金を貸せ、はどう考えても暗意が意図である。
このとき、発話は聞き手の想定と合致する。しかし、合致しない場合もある。
金が足りない、を家具に使う黄金が足りてないんだよ、という意図で話すのは明らかに想定と合致させようとする努力を怠っている。
暗意には話し手が「完全に責任を持つ」、「いくぶんか責任を持つ」、「まったく責任を持たない」という段階がある。
弱い暗意を考えることでその文体や詩的効果を分析することができる。


○責任を持たない、というのは発話が聞き手の想定に必ずしも合致しない、という話。
 コミュニケーションがうまくいっていない人はこの対話をしているのではないか。そう、私である。


J:高次の明意
明意を拡張する。たとえば、言語形式にMary says, believes...といった要素を付け加えることである。
これは新たな認知効果を与えるものである。
「あいつは認知言語学をよく知っているんだよ」の意図が皮肉であるならば、He does not believes that を付け加えることでそれを表せる。
高次の明意に対して普通の明意を基礎明意と呼ぶ。
基礎明意はたいてい、表出命題となる。表出命題とは真偽を確かめることのできる言語形式(命題)が発展によって表出されたものである。


アイロニーは表出命題はあるが基礎明意を持っていない。(そのままでは真偽判断へ持ち込めない。)

 そこで高次の明意を定義し、それを用いることで真偽判断をできるようにした。
 たとえば、「ホント君の作った料理はおいしいよ」は、実際には意図としてそう思っていないとする。
 このとき、「太郎は「ホント君の作った料理はおいしいよ」とは思っていない」としなければ真偽を誤る。


☆2章残りは推論と脳みその話。他書でも得られる情報なので飛ばす。


K:ここまでの感想
真偽判断が可能である(命題になる)という判断基準は役に立ちそう。が、実際には意図を正確に捕らえないとならないので難しいかも。
また、発展をどこまでさせるのか?ということに対しては今のところ書いてない。
特定化と拡張が特にそうで、どこまで特定化させるのか?という疑問がある。
「骨」を「縄文時代の石器職人の骨」というところまで特定化させても、「石器職人の骨」の時点で真偽判断できるように思うので無駄ではないか。
線引きは難しい。
そして真偽判断ができる、というのはどうしても個人の主観になってしまうので判定基準として客観的な結果をデータに与えれるかも難しい。
続きを読めばこの問題点は解決されるだろうか。

語用論まとめ2

D:関連性の原理II
「すべての顕示的伝達行為は、それ自身が最適な関連性を持つことを当然視している旨を伝達している。」
最適の関連性の当然視:
[1]顕示的刺激は受け手がそれをプロセスする努力を払うに値するだけの関連性を持っている。
[2]顕示的刺激は送り手の能力と選択が許す範囲内において最も高い関連性を持つ。


[1]情報的意図:ある想定の集合Iを聞き手にとって顕在的に、あるいはより顕在的にすること。
[2]顕在的:もし、ある個人が、ある時点で、ある事実を自分の頭の中に表示でき、かつその表示を真実である、またはおそらく真実であるとして受け入れることができるならば、そしてその場合に限り、その事実は、その個人にとり、その時点で顕在的である。
[3]伝達的意図:話し手が、何らかの情報的意図を持っていることを話し手・聞き手双方にとって顕在的にすること。


○情報的意図と伝達的意図、顕在的
発話による認知環境の改善→他人の話に聞き耳を立てた情報によるものと、話し手がこちらの認知環境を改善させる意図を持っている発話からの情報で改善する2タイプがある。
後者については、相手に何かを伝えたいという「情報的意図」と、情報的意図を持っていることを伝えようとする「伝達的意図」がある。
顕在的というのは、ウソではないと思えることらしい。そして、ウソではない事実の集合はその人の「認知環境」と定義する。
認知環境を改善させる、ということはウソではない集合を増やす・正す・ウソを捨てる、ということになる。


○顕示的伝達
情報的意図と伝達的意図に基づいて行う伝達を顕示的伝達という。
関連性理論が対象とする発話はこの顕示的伝達である。つまり、暗記のための暗唱とか、発話自体に完結した目的があるものは対象としないということだ。
さあオレの話す番だな、とドヤ顔をし、鼻を微量膨張させ始めるといった伝達的意図を持ち、そうして話す聞き手にとって無味乾燥な自慢話などが対象となる。
この際の情報的意図は「オレが凄い」「こういうふうに凄い」を聞き手に顕在的にさせる(ホントにさせる)というものだ。
(もちろん、普通のマジメな顕示的伝達が主な対象なんでしょうが)


○関連性の原理II
この原理は話し手が、話す内容は相手にとって関心があることを当然、と思って話しているということを表す。
そして、関連性が最適(不必要なコストを払わず、あなたの認知環境改善につながるんですよ)ということが発話という行為自体に備わっているという。
「お金が足りない」→「金を貸せ」は相手に自分の金銭要求意図、自分が本当はそういうことをしたくないんだという意図(情報)が顕在的になるように促す行為である。また、きっと申し訳無さそうな顔をするといった伝達的意図も同時に伝えていることだろう。ここでは申し訳無さそうな顔や、金銭要求意図、反省意図が関連性を最適化させていると考えられる。
ヘラヘラ笑って「金が足りない(^ョ^)」などと発話した場合、関連性が最適にはならないだろう。


E:ここまでの感想
関連性は二つの観点のバランスで成り立つという。認知効果の大きさと認知効果を受けるためのコストだ。このバランスを保つことで「最適」が完成される。
という話は田中穂積著「自然言語処理の基礎」にプランニングと情報伝達のトレードオフの話を思い出す。というか、書いてあることがそのまま一致する。
実際にプランニングを研究するときは関連性の概念はかなり重要になるんだろうなあ。

語用論まとめ

「語用論への招待」を読んだ個人的まとめ。色々間違っているかもしれません。例は自分で考えてみた。


1章
A:概略
言葉の意味とは何か?という問いに対して3つの意味を提案する。


[1]解釈的意味:語用論の対象にしない、文そのものの意味。「お金が足りない。」→お金が不足している
[2]明意:言語形式を加味した意味。「お金が足りない。」→(今、多重債務によって、私は、私の)お金が、不足している
[3]暗意:推論のみによって得られる意味。「お金が足りない。」→「金を貸せ」


○解釈的意味と明意の差は「真偽の判断が出来るかどうか」になる。ここで判断する人は当然聞き手である。
 お金が足りない、ということはいくつかの意味を補完しなければ真偽の判断が出来ない。
 [2]で追加した「私は」という主格は特に重要で、「お金が足りない」だけでは果たして「全世界の人」が足りないのか、「自分の組織」が足りないのかといった情報が無いので真偽判断が下せ ない。「多重債務によって」というのは金融会社の前で話していたとか、そういうコンテクストから読み取った意味になる。こうした情報があって初めて真偽判断が可能となる。
○暗意は言語形式を使わない推論によって得られる意味。「自分に金が足りない、って言ってくるということは貸せってことだな。」という推論で得る。
 言語形式を使わないって何ぞや?と思うが、これは代名詞の解読や動詞の格理解(補完)といった文解釈といったことを行わない推論のことらしい。
 もちろん、明意でわかった意味を下地にしているから「使わない」、というよりはより高次の過程と理解したほうが良いのだろう。
○明意と暗意のどっちが重要か?というのは実際の対話場面では暗意が重要になることが多いかもしれない。ここでは、「金を貸せ」という情報が特に重要。
 それに対して新聞の文書などは明意が重要になることが多いだろう。


B:語用論の狙い
「発話が解釈される過程と、その過程を支配している原理を明らかにする」
これを明らかにすることによって、どういう場面でどう発話するか、ということが理解できると考える。
ある場面ではどういう発話が適切か?という問題を研究する方向性は複雑で難しい。その点、語用論は発話という出発点、つまりデータがあるので研究が出来るとのこと。


C:1章までの感想:
意味の3区分は問題を切り分けるという点で非常に役に立ちそうだ。昔ながらの直列的な見方をすると「解釈」→「明意」→「暗意」の順に解釈が進められるのだろうか。
ところで、明意と暗意は共に「推論」を利用しているという点で同じで、そこは切り分けが難しくなる要因となるのではないか。
と思ったのだが、この問題点は後で議論するらしい。実際、上の例で「多重債務によって」という推論が果たして言語形式にのっとった推論なのか?という点は怪しい。
これは副詞句で場合によっては必要ではない要素だからなのだが、この「場合によっては必要ではない要素」の推論は暗意の推論と何か違うところがあるのだろうか。
言語形式に落とし込める推論は明意ということだろうか。等々の疑問が浮かぶ。続きを読めばわかるかな。


2章
関連性理論
A:コンテクストの規定
コンテクストを「発話の解釈に当たって、発話の解読的意味と共に推論の前提として使われる想定」と規定する。


○よく、「言語的コンテクスト」や「物理的コンテクスト」が発話の理解に役立つという話がされる。前者は文からわかる情報で、後者は現実の環境から理解できる情報である。
 しかし、これらのコンテクストは「発話の理解においては」、全て頭の中にいったん入力されてから、それを取り出して利用するという点で同じである。これを「想定」と読んで同一視する。
 こう解釈することで、物理的コンテクストのような現実の情報を「全て」利用するということは無く、頭の中に浮かんだ情報だけが理解の手助けになる、とすることが出来る。
○このようなコンテクストを利用することを人間は高速に行う。想定は無数にあるのに何故出来るのだろうか。これを説明するのが関連性理論だそうだ。


B:関連性の原理I
関連性の原理I:「人間の認知は関連性を最大にするように働く性格を持つ。」


○認知というのは何も発話だけではない。見るとか、聞くとかと同じものと捉える。
そして、認知というのは自分にとって関心のあるものに向かうという。これは、自分の持つ想定(頭の中の情報)を増やしたりといったことが目的になる。
想定(そのとき浮かべることのできる頭の中の情報)の総和を「認知環境」という。人間は認知環境を改善することを願う存在だという。
この作用を認知効果という。認知効果は3種類あるとしている。
[1]新しい想定の獲得
[2]不確かな想定の確定化
[3]誤った想定の放棄


○認知環境というのは人によって違う。エロいことしか考えない人はそういう話題に食いつきやすいなど、傾向が違う。
エロを求める人はその情報を「要らないコストなしに多く」求めようとする。
エロ以外の雑談はエロ情報がそもそも無くその人は飽きるだろう。また、最終的にエロくなる雑談は最後に至るまで長いので眠くなる。
直接エロイ雑談はまさに彼の求める認知環境の改善をもたらし、目に活力を与え、耳を紅潮させ、口も車輪のように回転しだすことだろう。
こうした不必要なコストを払うこと無しに、できるだけ多くの認知環境の改善をもたらす情報を「関連性を持つ情報」という。
人間の認知はこれを常に最大にするように働くというのが、関連性の原理Iだ。


C:2章ここまでの感想
認知というのは認知言語学とかで聞く話で、この関連性の原理Iはちょうどカクテルパーティ効果を思い出す。
そして認知環境の改善というのは記憶のボックスモデルで聞くリハーサルの概念に似ている。(同じ?)
発話というのも本質的にカクテルパーティのように関連した情報に向かう、という考えはなるほどと思う。しかし、そうじゃない情報に認知は完全に向かわないのか?というと難しそうだ。

回帰分析[2]

回帰分析の理屈は最小二乗法に基づく。しかしながら、幾何学的な解釈もできたりするらしい。(幾何学をわかってない人間が言えることでは・・)
そこで、まず三角形を基点に最小二乗とはどういうことなのか、というのを考えてみる。


◎三角形が直角三角形であるということ
三角形が直角三角形であることを3つの観点で見てみたい。
下図はこれから書く内容の全体図。


3つの観点というのは[3]、[4]、[5]で、[1]と[2]はその前提だ。[3]、[4]、[5]は回帰分析の式導出時にその姿が見えるだろう。
まずは、[1]と[2]について見てみよう。
※辺としてのxか、点としてのxか、というのがバラバラに書かれているので後で整備。

[1]三角不等式

三角不等式は
x^{2}+y^{2}\geq z^{2}
という式である。三角形が成り立つ条件を書いているものだ。
それだけでは今は意味が無いので、距離としての意味を考える。すると、
(x,y,zがそれぞれ2乗されている前提で)地点xからzへ行くとき、どこか別の地点(y)を経由していくよりは、直にzへ行った方が最低でも同じか、それより速くいける、という意味になる。
これは直感的に明らかだろう。変なところ(y)を経由するように行けば距離は長くなる。
ここでの問題は、直交した場合、zに速くたどり着けるということではない。
それよりも、どこか経由したときでも、直交したのと同じになるときがある、というのが驚くべきことだ。
さて、その条件は、三角形が直角三角形であるということになる。下図に示す。


[2]直角三角形

直角三角形になるとき、三角不等式は次のようになる。
x^{2}+y^{2}=z^{2}

ピタゴラスの定理になっているのがわかるだろう。
このことが回帰分析とどう関係するのだろうか?[3]、[4]、[5]について見てみよう。


[3]最小二乗

先ほど述べたとおり、三角形が直角ならばyを経由しても最短距離でzにたどり着ける。(同様に2乗されている前提で。)
ここで、[5]へ視点を移すために、視点を変えてzを固定し、xの長さを無限として考えてみよう。


つまり、直線zから、直線xに線を降ろすのである。
このときの線の長さがyであるが、これを最小にすると直角三角形ができることを図で確認したい。(証明などは他所様を見たら良いんだと思います。)
2乗してあるものを最小化する、という視点は後述の回帰分析の基礎的な考え方となる。


[4]内積が0
直角三角形であるとき、xとyの内積は0になる。ここでいうxとyは当然ベクトルである。
例えば、ベクトルxを(4,0)、ベクトルyを(0,4)とすると、この内積が0になることは容易に計算できる。
図示はしないが、この二つのベクトルは直線が直角に交わったものであることが理解できると思う。
なお、内積をノルムで割ったものはコサインになるというのはCOS類似度でやったとおり。(-1〜1の範囲になる。)

回帰分析[1]

回帰分析法はどの分野でも使われる手法で、その基本的な考え方はとても重要だ。


回帰分析の例

今回はデータをでっち上げた。本来は実際のデータで実験したほうがよいのだろうが、結果の考察に便利なので作り物のデータで行こう。
視力のデータ:      { 1, 0.5, 0.1, 0.2, 2.5, 1.2 }
テレビを見る時間(h)/1日:{ 1, 10, 20, 15, 10, 0.5 }

この場合、テレビを見る時間と視力のデータに関係があるか?ということが問題だ。
まず相関係数を出してみるが、この場合-0.44573ほどとなった。
ソートされていないので見づらいが、テレビを見ている人ほど視力が悪くなっている。
そういうわけで、負の相関が見られるわけだ。
しかし、0.4というのはそれ程大きい数値ではない。これは視力が2.5の人がテレビを見ている時間がそれ程多くは無いからだ。つまり、このデータが相関係数を小さくする要因である。
ためしに視力2.5の人のテレビ視聴時間を3に捏造してみよう。たちどころに相関係数は-0.73となる。
このデータさえなければ・・と言いたい所だが、恨み節は無しにして次に回帰分析をしてみよう。


このデータに対する回帰分析は次のような直線になった。


人目見て思いっきりずれていることがわかる。
しかし、これは誤差の合計を最小にするという戦略のためであって、仕方ない。
だがここで思うのは、この回帰に意味はあるだろうか?ということだ。
もともと視力が高い人ほどテレビを見る時間が短い、と言いたくてこの回帰分析をやってみたが、相関係数も駄目で、回帰も見た目上手くいっていない。
上のグラフはRというフリーソフトで出力しているのだが、この「回帰が上手くいっていない」かどうかを調べるときに見る値を出力できる。


ここの値がもしそれなりに良ければ、「*」マークが付く。今回は何も付いていないので、「回帰が上手くいっていない」と言ってしまってよさそうだ。
この値は、「回帰が上手くいかない確率」を表しており、それが37%ほどであることを示している。(詳しいことは後でまとめたい)
つまるところ、約4割も上手くいかない可能性があるのだから、この回帰は上手くいっていないと言っていい。
これが5%を下回るとかだと上手くいってそうだな、と結論付けられる。(場合による。かなり精緻な分析をするなら5%では駄目だ。)
ちなみに、*マークはこの値が0.001(0.1%)を下回っていると3個付く。
三ツ星レストランのようなものだ。今回の分析結果のようなものではガイドブックに乗るどころか食べログ、いやGoogleの検索結果にすら引っかからないだろう。


ところで、この表にはこの回帰直線の切片も算出されており、これも上手くいっているかいないかの確率が示されている。
この値は8%で、1/10の確率で失敗するということである。まあまあ成功しているのだが、統計の業界では10%以下〜5%より上は評価されないという話だ。
(最近聞いた話だと、社会科学では10%以下でも一応評価するらしい。)
ちなみに、0.08という値の横に.が付いているが、これは10%以下なら付く印だ。お情け程度のものだと取っておこう。


さて、結果だけ見てもそもそもの理屈を理解しなければ使い物にならないのは当然なので、次から回帰分析の理屈について書く。